ジャーナリングワークのきっかけ


《ジャーナリングワーク》のきっかけ


コロナ真っ只中の2020年10月
自分の価値を根底からくつがえされ、自分は価値のない人間なんだ。という悲しみの沼に
1年近く、どぼどぼと沈み込み、しばらく沼から出てこれない時期が続きました。

幸運にも、同時期に同じような体験を通して、自分を見直し立ち上がろうともがいている友人が
アメリカ本土にいたので、彼女と月1で話を交わすことで
感情の起伏をシェアし、悔しい思い、悲しい気持ち、なんで私が?と素直な感情をぶちまける時間が
あったことが何よりの救いでした。

初めはとにかく文句しか出てこない。モヤモヤした感情を出し切るまで
同じ状況の彼女に聞いてもらったり、勢いに任せてパソコンのNotesにタイピングして
まず吐き切ることをしました。

そのうち愚痴が減っていき、相手の立場になって考える視点の逆転がおこり
”相手はこうだったのかもしれない”  と考えるようになり、その場合
自分はどう在りたいか、どう生きたいか
に変わっていきました。


怒りや悲しみの、感情に任せてタイピングしていたパソコン上の日記から
ノートとペンにシフトしたのは、結構すぐのこと。
マインドのごちゃごちゃしたお喋りを、座ってペンを持ち、ノートに書く。
ということをしていくと、否応なくスローダウンします。
思考がスローダウンして
ペンを使って書き慣れていないうちは、さらに文字にするのに時間を要します。
漢字も出てこなければ、何から書けばいいかもわからない。

でもこの、思考をスローダウンさせることがとても大切

だと感じました。いつまでも頭の中でひとりごと大運動会をするより
まずは頭の中のごちゃごちゃを、表に並べてみる。
ただ取り出していけばいいんです。


今日は《きっかけ》まで。
続きはまた!






◉おまけ◉


好み的なことを言うと
私はB5サイズの無地のノートが一番好き。


0コメント

  • 1000 / 1000