インナーチャイルドワークにおいて、はじめて【弟】が出てきた。
弟に関して、あまりに無関心で接点のない関係性だったからビックリ。
母親、そして父が登場して私の中の女性性と男性性が統合されはじめ、やっと自分軸が再構築されたところで、軸に付随されたもう必要のない責任・役割がふるい落とされていく。その一番にくっついていたのが【おねえちゃん】であることだった。
弟や妹はその子の名前で呼ばれるのに、お姉ちゃんやお兄ちゃんは名前じゃなくて
『おねえちゃん』って呼ばれることがわからなかった。
おねえちゃんは、、、
おねえちゃんだから、、
おねえちゃんに聞いて、
おねえちゃん、おねえちゃん、意味のわからない責任をおねえちゃんというワードに乗せらせ課せられた小さなわたしは混乱していた。そして怒っていた。
おねえちゃんが言ったからやった、
おねえちゃんのせい、
おねえちゃんなのに見てなかったの?
責任を押し付けられたり、言い逃れされたり、いいところだけを持っていく弟の分際が憎たらしかった。ついて回るくせに自分で責任をとらない弟の存在をウザいと思っていた。
おねえちゃん。っていう枠がないところでは、愛おしい存在だった、(きっと)。
そんな純粋な気持ちが全く思い出せないほど、無感情で思い出せる記憶の断片が一握りしかなかった。自主的に消し去っている感情・記憶。そのままにしておくことも出来るのだけど、人生のこのタイミングで弟が登場することには、必ず意味がある。
今年の初めから、両親の癌や療養っていう新しいテーマが現実にあって、インナーチャイルドヒーリングもどんどんスピードを上げて向き合い癒していった。親の老いに対する私なりの浄化方法であり、現実問題として見ている世界の認識を変えるには、自分の中の意識を再認識していくのが、効果的だと思っているから。そして両親の老いの先に、協力しあったり支えあったりコミュニケートしあったりする相手は必然的に【弟】である、と本質は知っているから、だから今向き合うタイミングなのだ、と思う。
長女のための
長女を卒業するワークショップ
しようかな、と思う。
無駄なもう背負い込む必要のない責任から自由になっていこう🎵
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