『自分がどうしていいかわからない・何をしていいかわからない』
『自分が何者なのかわからない』
『自分の使命を教えてほしい』
自分はどうしたらいいんだろう。自分は自分は。。。。
そんなこと人間だもの、誰にだってあるよね。
先日キャッチアップしてたポートランドのののちゃんとも、そんな話をしてたの。
自分は自分は、ってなってる時って
自分が認められてない・認められたい・ってエゴちゃんがジタバタしてる感じ。
幼少期に、ワガママ言ったりこれしたい!あれ欲しい!って素直に言えなかったような子は
発散できなかったあの時の感情が、大人になっても抑圧されて残ってて、
これしたい!が素直に言えないどころか、あまりに長いこと自分の気持ちを表に出さず、我慢して、人のために何か役に立つ自分が、人から認められる価値のある人間だ。ってインプットされてるから、自分の気持ちを無視してる。だから、自分が何をしていいか到底分からないわけ。
【 想像してみて 】
本来、みんな自分だけの色を持ってるとする。
絵の具の中の好きな色一本を、選んで手に持ってる事を想像してみて。
本当はその一色を思う存分、キャンパスいっぱいに塗りたかったんだけど、『人とシェアしなさい、順番に、貸してあげなさい、独り占めしちゃいけない』何百回と聞いてるうちに、自分の色を大きな水のバケツの中に一滴、一滴と落としていくの。
それは最初、うす〜い一色となって水の中に馴染んでいき、隣の誰かも同じようにその色を一滴、一滴と同じバケツの中に入れていくうちに、水のバケツは飲み残したコーヒーのように濁ってしまう。
一体何色の絵の具を一滴入れたのか、誰もがもう分からない。
こうしなさい、こうした方がいい、って人から言われてやっていること
もしくは同調圧力的に、みんなそうしてるから、私も一滴シェアしないと悪い、と取った行動の結末は??
結果どうなったかが大切なのではなくて、自分は何を感じたか。がとても重要なの。
コーヒー色になった水を見て、自分の色のチューブがもう空っぽになっているのを見て、どう感じる?想像して何を感じた?
今感じた感情が、まさに幼少期、自分の色を自分のためじゃなく、人のために使い切ってしまった時に感じた感情。人によってさまざま。
悲しいって無気力になってしまう人もいれば
やれって言ったから、やったのにこの様はなんだよ!って怒りになる人もいて、日本の状況を外から眺めていると、集合的な意識はこういう感情で埋め尽くされている感じがするの。
だからまず、自分が感じた感情を認識することが一番最初。
【認められない・認められたい】エゴちゃんは、自分に無視され続けるのがもう嫌なの。
だからずっと訴えてくる。まずはその感情を自分が自分のものとして、受け止めてあげないことには、外に助けを求めても、満たされることはない。
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