息子の夏休みがはじまる前に、ひとりで日本一時帰国した今回の旅。
出発する少し前に、ポッドキャストでののちゃんとお話ししていたことが、予言のように1週間後自分がそれを生きていて、聞き返すとびっくりする。( Podcast#89 Spotifyから聴いてね )
彼女のコミュニティでも、幼きわたしと母との関係性を『決別』という言葉を使って友人にこの旅への決意=インテンションを話していたのだけど、決別、ではなかったな。決意はしたけれど、別れや離別はなかった。あるのは新しい関係性の扉が開かれていて、そこには新しい自分と自分の意志、それがどう自主的に現実に反映されていくのか、を人任せになるんじゃない確固たるビジョンがある。ってことだった。
怖いから自分を守ることで、無関心に無機質にただいるのではなく
見ないふり、感じてないふりをして感情に蓋をするのではなく
無意識下で相手も自分もコントロールにおこうとするのでもなく
大切だと思える人に、大切です。って素直に言葉を届けることができたのが最大の解放だった。
両親に至っては、言葉を越えた”自分の存在” だけで誠意やコンパッションが伝わった。
【偶然】などひとつもなくて、全ては自分の意志(もしくは無意識)がそこへ運んでいった。
自分が感じたくて、そこから何かを学びたくて、強烈に気付きたい反転する世界を自分でこじ開けるしかなかった。大きな恐怖が伴うけれど、自分を肉体的に、実質距離を移動させてしまうってことは大いに助かった。
過去に癒着している感情の記憶は、本当は自分のものじゃない。
自分からそこにリーチして、取りに行って感じに行ってる記憶の断片。
記憶は空間にあるから、時空を移動させてしまうことで俯瞰して見ることができるし、
感情を切り離してみたり、感じきることも可能にしてしまう。
旅はいい。
自分の思考に留まって日常にはまっているのなら、身体を移動させてしまうのがいい。
なるべく知らない場所へ、ひとりで、飛行機や新幹線を使って一気に動かしてしまうことで
身体が感じていることに一体化することになる。
過去の感情と一体化するのではなく。
面白いくらいそれを体感した旅だった。おかげで駅をいくつもすっ飛ばして実家とは真反対に一瞬で電車が進んでいたし、危うく飛行機に乗り遅れるところだった。さぞかしグラウンディングが弱くなっていることだろう。何度も自分に戻ってくるんだよ。って自分の意識に言い聞かせて、へとへとになってHOMEに帰った。帰る場所、帰属する心の在り処があることが素晴らしかった。
母と父と、両親との対峙でもあったけれど、幼少期のわたしと今の私が手を取り合う対峙でもあり、自分の女性性と男性性の役割を大発揮した自己信頼の旅でもあった。
愛と信頼。
イシスとホルスのサポートを得ながら。
『何があっても私は大丈夫』そう自分に言ってあげれたことが嬉しい。
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