10代の頃、母が友人の手伝いという名目で教会のクリスマス会かバザーか、
ボランティアに行っていたことがあって、行くたびにこの小さなカードをもらえるのが楽しみだった。たくさんの絵柄から、自分の好きなものを1枚だけもらって帰ることができて、今でも手元に3枚のカードがある。キリストの絵柄は選んでなくて、マリア様と天使たち。幼い自分がチョイスしていた潜在意識が面白い。
中学生になると、美術のクラスでこのカードを模写して大きなキャンバスに描いた記憶がある。背景の雲を描くのに苦戦した。美術のことは何も知らないけど、白を表現するって影を掴む力なのかもしれない。影を把握するのも、闇を見つめるのも、光に描く大切な作業なんだろう。
『小さき存在でも大切なものを守っている
その勇気と愛は、常にもっと大きな見えない存在に見守られている
守りたいものがあるから進むことができる』
そんなメッセージを久しぶりにこのカードから受け取ってる。
実家の母のことで心が大揺れになって、去年の義母の時の恐れの反応と同じく
帯状疱疹がブワッと一気に現れた。恐怖を感じると、肌に真っ先にリアクションが出るみたい。
信頼のおける弱音を吐けるシスターたちにお知らせすると、遠隔でエネルギーを送ってくれたり、心配して寄り添ってくれたり心使いがありがたかった。一つ圧倒的に去年と違うのは、男性からのサポートを得ていることだ。実質的なサポートという意味では旦那に頼りきっていて、それは自分の女性性をただただ容認していくプロセスと伴走している。外に働きにいくことを一旦休止し、自分がただ在ることをみつめてる。
男性でもう一人祈ってくれた人がいる。言語化するとどういうことなんだろう?って日々感情を見つめているけど、まだ言葉にできない。時間の流れが届けてくれる場所がある気がする。いずれにしても、その祈りが恐怖に呑み込まれていた私を助け出してくれた。ありがたい。
困難、悲しみを感じられるからこそ私たちは祈ることができる。
より良い未来を願って、意識したことを放つ能力が誰にでもある。
声より早く届くし、一瞬で共鳴することができる。
なぜなら、その祈りのアクションは自分の中にある力にアクセスしていることだから。
祈る時、それは自分の中の願いだ。
まだ見ぬものを信頼する/しようとする力。
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