お義母が去って、はじめての感謝祭だった。
去年のサンクスギビングには、抗がん剤治療中の義母がいて
義妹が恋人をつくって家を出て(というと聞こえが悪いが)その彼女が感謝祭のBBQに顔を出したのだけど、ディナーを食べる直前に、警察からの電話がなって、引っ越した先の彼女のアパートに強盗が入り、パニックになりながら感謝祭のディナーをせずに帰った彼女がいた。
それが2022年の思い出。
この1年は、本当にホントに濃厚で急速で、心も身体も多次元にも広がり拡大していった。
拡大していった自分が、それまでの枠の中に収まるわけがなく、息苦しくなったり
怒りでいっぱいになったり、悲しみと絶望にくれたりした。
何の計画もなく感謝祭当日を迎え、お義父と私たちファミリーだけのサンクスギビングかと思われた。例年のように人が押し寄せる感もなく、私はパンプキンパイとサラダを作っただけ。
部屋でのんびりしていたら、外で声がする。
そこには久しぶりに会う義妹のJと、新しい恋人と連れ子。
元旦那と二人の娘たち。
檻が破壊される瞬間だった。
わぁ、自分の思考概念も既存の親子関係もパートナーシップも、こうやって吹き飛ばしてくれる存在が現れる。
一年前にJを檻から出してくれる存在になった恋人とは別れ、シングルの時から好き同士だったずっと好きだったアーティストの彼と再会を果たした彼女は、その彼を連れて感謝祭ディナーにやってきた。
ハワイって民族の多様性が本当に幅広いのだけど、結婚や家族、パートナーシップにおいても本当に自由だ。新しいパートナーと子どもが、元旦那とその家族のディナーに混ざり合ってフツーに会話が弾んでる。ディナーの前に、ハワイ式に円になって皆で手を繋いでチャントを子ども達が唱える。
手を繋いで、円になってしまえば個は全ての一部なのだ。隔たりが溶けるのが円。
縁なのだからしょうがない。
恋人の息子(11歳)はうちの息子(9歳)ともう「ダチ」
エクステンドの家族の形。自由ないち人間同士の関わり合い。
円になった時に、話したい人が感謝したいことを話す。
神に感謝、、、って話す人。
子ども達の視点にはハッとさせられる。食べ物と安全な家があること。ファミリーがいること。
子どもって即座に地に足ついた感謝の言葉が口から出る。
私は何に感謝してるだろう、って頭に一度指令を出さないとリストアップできないというのに。
みんながそれぞれ作ったり、持ち寄ったりした感謝祭のディナーを一口食べた瞬間、
私の感謝は「は〜〜美味しい!」身体と脳が満たされて感じる幸せ。
みんなで「美味しいね!」って味わう幸せ。
「このサラダ最高に美味しいね!」って人が喜んでくれる幸せ。
「デザートはまだ?」ってフォークを持ってグランパが待っててくれる幸せ。
現実に見せてくれる ”ありたい状態”があるのだから、鳥籠から出るのだろう。
枠を設けているのは、自分だ。
デザートの後、子ども達とボードゲームをした時にうちの旦那がふと言った発言に
私は相当腹を立てた。はらわたが煮えくり返るような、うちに秘めた強烈な怒り。
私の求めている「真の自由」を言葉の呪縛で縛り上げるものであり、過去生から女性が虐げられてきた力や制度に対する怒りに違いない。
さてこれに対峙するには、、、
感謝へと転換させていきたい。
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