魚座新月とともに旅立たれたお義母さんの肉体なき存在と過ごした2ヶ月間。
3月22日の牡羊座新月、前日の春分
4月20日再び、牡羊座新月。
この2ヶ月感じたことは、まるで言葉にできないけれど
身体を充満していくエネルギーを感じてる。
死。は常に残されたものしか体験、感じることのできないプロセスであって
最後にその人が残してくれた最大の贈り物、メッセージ、意思なんだな、って思う。
この贈り物/メッセージ/意思を、それぞれがそれぞれの形で受け取っていて
感じ方も本当に色々で、それを噛み砕いて自分の今日、明日の生き方に体現していくことが
自分の死生観となるんだと思う。
そしてその死生観は、語らずとも、その人の生き方/在り方になっていて、
だからその人が地球を去った時、形・姿・経歴以上のところで
その人のエネルギーを強烈に感じることができる。
何に共鳴して、どう感じているのか、それが自分だけの感性・死生観だと思う。
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4月6日の天秤座の満月を過ぎて、お義母さんのセレモニーを2週に分けて行った。
ひとつはファームで。
家族親族、友人がファームに集まって遺骨を大地に還した。
10数年前カリフォルニアグラスに覆われた、蚊ばかりが住む広大な草原だった
Kuniaの大地に、一番最初に植林したコアの木。
大きく成長したコアの木の隣に、マウンテンアップルの苗木をお義母さんの遺骨と共に
みんなの手で植えた。お義父さんがマウンテンアップルを選んだのは、出会った頃の二人が
当時大学生で、植生生態学のクラスでマウンテンアップルのサンプリングを一緒にした思い出からだった。
血が通う躍動する鼓動が宿った肉体は、役目を終えてしまったけれど
最後に骨が残ることが不思議だ。
手のひらに彼女の最後の形を感じて、土に還したら繋がりが感じられた。
この先いつだって大地にいる。手のひらにうっすら残った灰は私と共に。
常に、感じようと思えば感じられる。
翌日はノースショアの海で。
旦那が幼少期育った土地と、家族でいつも歩いて行っていた海辺に集まり
遺骨を海に還した。
私たちはみんな、海からきて海に還っていく。水に戻り、水に還る。
水は感情であり、感情を水で流していく。
儀式って大切だな、と思う。
『葬儀』という建前上の儀式よりはるかに自然体で、自然に受け入れていく儀式が
人間と自然の一連のつながりをスムーズに受容するプロセスとして大切だ。
そういう意味では、あまりの多民族アイランドのハワイでは
葬儀も儀式も、多種多様で個人、文化、民族、宗教、家族の自由が限りなくあるから
形式がない。その人の【意思】要は、生き方在り方から、受け取った意思を周りが表現する。
喪服がない。
喪服で現れる人が一人もいなかった。
香典もない。
生花とレイに囲まれた、香が自然の植物だった。
もちろんお義母さんは仏教でもなければ、クリスチャンでもなくって
コアなヒッピー時代の生物学者だったから、この自由さが色濃かったのかもしれない。
翌週は、彼女の長年の仕事場だったHawaii Pacific Universityの大学構内で
仕事仲間や他の大学教授、生徒さんが集まって、自然あふれる敷地の森の中
ティーリーフを植林して、再び散骨しました。
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今年2度目の牡羊座新月。
牡羊座、ダブルチェックです。区切りをさせてくれたこの2ヶ月に感謝して
自分の人生を存分に生きていこうと思う
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