【月待講】
という言葉をはじめて知りました。
江戸時代の文化で
下弦の月の日に女性たちによって開かれたそうです。
もっとも遅い時間に昇ってくる月を待って
女性たちが内にあるものを一人ずつ
語りたいだけ語り
傾聴する
のだそうです。
火を囲む、ことのパワーを前の記事に残したと思うのですが
月と共にある、というのもやはり女性にとっては自然なエネルギーなのだと感じます。
ハワイ島のヤナが日曜日の夕方から、
オープンコミュニティにしているこの集まりも、女性ならではの
人間が野生的にしてきた智慧、なのだと感じました。
日がおちる、あたりが薄暗くなっていく時間帯に各々パラパラと
ヤナの森に集まり、いらなくなったもの着なくなったものを並べる人あれば
自作の装飾品を売る人、ご飯を作ってサービスする人
火の特等席を確保し、風向きを見ながら煙をあびないよう近況報告
アップデートの話に夢中になる女たち。
ドラムを叩いて、セッションを楽しむ男たち。
子どもたちは自由に、離れたあちこちを駆け回り
開始の時間もなければ、終わりの時間もない。
自分の時間で流れていく、自由な集まり。
昔、ハワイの自然に感化された友人に、ハワイでリトリートを開催したい!と
年密に計画、時間、経費、を練ったアイディアに片足を突っ込んだことがありました。
結局その足は、両足入れることなく終わりましたが、今思うと【違和感】を感じていたんだな。
リトリートとは
Re:もう一度 Treat:よくする、ケアをする
勝手な意訳と解釈をすると
Re Treat Yourself :自分をもう一度大切にし直す ことなんだと感じます。
だとすると、外側からセットアップされ、この時間で何を食べ、どこへ行って癒され
夜はキャンドルを囲んでこんな話をします、という固定され、決められた設定の中では
本当のリトリートは起こらないわけです。外から起こらされているハムスターの回転車に
癒しがおこる回転車だと、言葉から、イメージから思いこまされて
回転車に乗っていくようなもの。
コロナと共に、大体的な【リトリート】行事が軽減され
実質できなくなってからは、真逆のアプローチへ各々が向かっていきました。
内にアテンションをして、Re Treat Yourself をする。
自分をケアできるのは、他でもない、自分しかいないことに気づいていくプロセスでした。
最初の【月待講】に戻ると、
私たち女性は、もともと自分の内側に戻り、感じる力があって
江戸時代の女性たちにしても、ハワイ島のヤナにしても、
あなたと私のZoomキャッチアップにしても、
内に籠ったあと、土から顔を出した時には
必ずや、その感情を出す場があり、話す相手がいて、聞いてくれる人がいる
女性性のパワーを思いだす
散らばった点が朧げに形を見せはじめ、満たされた気持ちでいます。
0コメント